INTERVIEW

岩井つづら店 六代目 岩井 良一

1949年、東京都生まれ。大学卒業後、10年間の会社員生活を経て家業に入り、約160年続く岩井つづら店(東京都日本橋人形町)を継ぐ。昔ながらのつづらづくりに打ち込みながら、現在は4人の弟子を育成。趣味は山登り。

必要なものを見極め、愛着を
育て、繋げていくことの尊さ。
創業160年のつづら店が
積み重ねてきた時間

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縄文時代にはすでに利用されていた植物で編まれた「かご」。運搬や収納など、古くからさまざまな場面で使われてきました。元禄時代(1688~1704年)になると婚礼道具として「つづら」が生まれ、庶民に広まりました。しかし、プラスチック製品の台頭などにより、つづらの生産者は今や全国で数店のみ。東京で唯一、つづらをつくり続けている岩井良一氏に、その歴史やつづらの魅力、先代との思い出など、お話を聞きました。

東京で最後のつづら店

家業は江戸時代から続くつづら店。32歳で会社員から転身

岩井つづら店は、もともとはかごに人を乗せて運ぶかご屋だったと聞いています。初代が文久年間(1861~1864年)に創業し、明治初期になると四代目が「つづら」をつくるようになりました。庶民が使用するかごは丈夫で軽い竹製でしたから、同じ竹を使ってつづらをつくったのでしょう。つづらは蓋つきの漆を塗ったかごのことで、江戸時代には着物をいれておく暮らしの道具として広まりました。戦前、関東には250軒ものつづら店があり、呉服屋が集まっていた日本橋にはつづら店の組合もありました。それが今では全国で5、6店舗。東京では、岩井つづら店のみです。

岩井つづら店の歴史を物語る写真

僕の記憶の最初にあるのは、親父と先々代が二人でつづらづくりをしていた光景です。そこに竹かごや和紙の職人さんが来て、みんなでせっせとつづらをつくっている。子どもがお店に出ると、仕事のじゃまになる。そんな気がして、お店にはあまり顔を出しませんでした。でも、つづらづくりはしっかりと目に焼きついていたのでしょうね。小さな時からずっと見ていましたから、こんな感じというイメージが頭の中に入っている。32歳で会社勤めをやめて家業に入ったときも、まったくの素人としてつづらづくりに携わるのとは違ったように思います。

岩井つづら店に入ったきっかけは、親父がひとりで店を回していて、とにかく仕事がたまって大変だったこと。お客様に仕上がりを1年以上も待っていただいている状況でした。そのころは、まだ着物を着ている人も多く、つづらは日用品に近かった。通りを歩いている方がすっとお店に入ってきて買われる、ということもよくありました。

同じ工程をひたすら繰り返した日々

30年経っても、親父の塗りにはかなわない

つづらづくりは、竹で編んだかごの形を整え、内側と外側に和紙を、ふちには麻の蚊帳(かや)を貼ります。下塗りを2回、上塗り(漆)を1回、さらに紋や名前を入れると10工程ほどあります。すべてが手仕事なので、ひと月につくれる数は60個ほど。僕が仕事をはじめた当初は、まず親父から手本を見せてもらい、何日も同じ工程をただひたすらに繰り返し技術を覚えました。丁寧にやっていれば形になっていくので親父から文句を言われたことはなかったですが、その分緊張感はありましたね。

竹かごのすき間を埋めるために、外側に和紙を貼り付け

ただ、最終工程である塗りは絶対にやらせてくれませんでした。15年間、一緒に仕事をしましたが、仕上げの上塗りを教えてもらったのは親父が亡くなる1年前。以来ほぼ自己流で、試行錯誤を繰り返しながら何度も塗りをやり直したものです。30年経った今でも、うまくいかないことの方が多いですね。ちょっとでも塗りすぎると乾いた後にしわがよってしまうので、刷毛で塗る手加減はとても大事です。また、気温によって変化する漆は、夏にはすごく柔らかく、冬はカチカチになって油で薄めないと使えません。その薄め加減も仕上がりを左右するんですね。ですから、塗りがきれいに仕上がれば、気持ちがいいんです。

お客様から古いつづらの直しをご依頼いただくときは、親父のつくったものはすぐにわかります。親父の塗りと自分のものとを比べて、がっかりするときもあります。何が違うんだろう、自己流が出ているんだろうと思いますが、塗りはいまだに親父にはかなわない。数をこなしていくしかありませんが、もう少しだけ親父から習っておけばよかったと今でも思います。

職人と弟子

たくさんの職人とのかかわり。未來へつなぐ技術の継承

つづらには、竹を編んだかごや和紙、刷毛、小刀といった道具をつくる職人さんもいます。埼玉県小川町の和紙は独特の風合いと丈夫さがあり、先々代からのおつきあい。漆を塗る刷毛は1本で20~30年ほど使用するので、とても貴重です。90歳まで現役だったのは、親父の代からお世話になった新潟県佐渡のかご職人の方。とても腕のいい職人さんでしたが、残念ながら後を継ぐ方がいませんでした。

そうしたときに出会ったのが、かご職人の近藤くんです。飛び入りでお店に来て「こういう物をつくっているんですが」と、竹で編んだかごを見せてくれた。それを見て、これなら大丈夫とかごづくりをお願いすることにしました。つづらを買いにお店に来て、その場で「教えてほしい」と言ってきたのはお弟子さんの高橋くん。15年前のことです。僕自身、つづらづくりを残したいという気持ちがそのときとても強かったので、タイミングがあったんですね。お弟子さんは現在4名。月2回程度お店に来てもらい、簡単な工程から教えています。高橋くんはすでに自分のお店も開いていますが、今でも習いに来ています。今後、彼が誰かに技術を教えるということがあれば、そこからまた広がるのではと思っています。

かご職人の近藤さんとの出会いは15年前。
九州で20年間修行をし、現在は埼玉県小川町で
かごづくりを行っている

自然素材のつづら

軽くて丈夫。知恵のつまった古から続く暮らしの道具

岩井つづら店でつくるつづらの種類は、昔とほぼ変わりません。お客様は中高年の方を中心に、お孫さんにプレゼントしたり、着物関連の仕事や趣味を持つ方が多くいらっしゃいます。一方で、着物を好む若い方も増えてきました。そのほか、お部屋のインテリアとして使ったり、本やスカーフ、ネクタイを入れたり、みなさん自由に使われています。ご自宅で使われる方はよく家紋やお名前を入れられますが、若い方は家紋をご存知ないことが多いんです。「墓石の写真を撮ってきます」と後で写真をいただき、紋がわかるということもありますね。

代々受け継がれてきた紋入れの型紙。
岩井氏のお母様が90歳まで紋入れを担当されていた

つづらの魅力はいろいろありますが、みなさん手に持たれるとその軽さにびっくりされます。竹製ですからとにかく軽い、そして丈夫。20~30年は使用できますし、直しをすれば孫子の代まで末永く使えます。国産の竹、和紙、柿渋(かきしぶ)、松煙(しょうえん:松の木を焼いた煤)、神社でもよく使われているベンガラ等、自然素材や日本古来の顔料を使っている点も特徴だと思います。表面にはカシューナッツを原料にしたカシュ―漆を塗り、色は朱と黒と留色(ためいろ)の3種があります。防虫効果もありますが、長くもたせるには直射日光にあてないこと。冬は乾燥に弱いので、少し湿気のあるほうがいいですね。それだけ気をつけていただければ大丈夫です。

取材日に再来店されたオーストリア人のご夫妻と。
家族用のつづらを購入されて以来、岩井つづら店のファンに

江戸時代から変わらないつくり方

昔の日本の暮らし、職人の丹精込めたものづくりを伝えたい

おばあさんが使われていた古いつづらを持って来られて、きれいになったと喜ばれるお客様の姿を拝見すると、本当にうれしいものです。「とてもいいですね」「大事に使います」とお手紙やお電話をいただくと、大きな励みになります。ブラスチック製品にはない、時間の積み重ねやぬくもり、愛着を感じていただけるのかなと思います。

つづらづくりを始めて僕の代で約120年。江戸時代から変わらないやり方でつくり続けているつづらを通じて伝えたいのは、かつて日本の暮らしで使われていたその歴史と、たくさんの職人がかかわり手が込んでいるということです。できあがったものを見ると簡単に思えるかもしれませんが、竹を1ミリ以下に剥いで編むのも大変な工程ですし、一つひとつ時間をかけ丹精込めて仕上げています。そうした背景に少しでも思いをはせていただければありがたいなと感じます。

僕がお店を継いだとき、「親父がとても喜んでいた」と、かなり年月が経ってから母親から聞きました。親父が直接、僕に言うことはなかったのですが、今も続いていることをどこかで見てくれていれば、少しは喜んでくれているでしょうか。

岩井つづら店

東京都中央区日本橋人形町2-10-1
03-3668-6058
9:00~17:30
定休日:日曜・祭日

クリエイティブコラボは、コラボレーショの力で新しいサービスや価値を創造していきます。
日本文化を次世代に継承するプロジェクトや、メタバース・NFTを活用した地域活性、アートと教育など、さまざまな企画を進行中。
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