INTERVIEW
落語家 柳家 花緑 氏
「笑い」は人生を
豊かにする鍵の一つ。
攻めのチャレンジを重ね、落語の文化を守り伝える(後編)
スピード感に満ちた歯切れの良い語り口に定評のある気鋭の落語家、柳家花緑さん。古典・新作落語に加えて、近年はバレエ落語や47都道府県落語など、進取の気性に富んだ取り組みにも注力し、落語に親しむ人々のすそ野を広げています。インタビュー後編では、子ども時代の思い出や40代で公表した発達障害のこと、そして「笑い」の力についてお話を聞きました。
前編はこちら
自信を持てない子ども時代
喋りたい!という衝動が、落語を覚える原動力に
僕は40歳を過ぎてから、発達障害の一種のディスレクシア(識字障害)であることがわかりました。遡ると、子どもの頃から本を読むのが苦手で、小学2年生以降はまったく授業についていけなくなりました。周りからは努力が足りないと思われていて、僕自身も「みんなにできることが、どうしてできないんだろう」と気持ちが沈んで。自分に何も自信を持てない子どもでした。
9歳で始めた落語で人から褒めてもらえたことは、人生で初めての成功体験といってもよく、落語に救われた面があります。落語は基本的に師匠からの口伝で教わるので、読み書きのハンディが影響しにくかったことも幸いしました。とはいえ僕は耳で聞いたことを覚えておくのも得意ではなく、中学生になってからは師匠に教わったことをノートに書きとめるようにして。でもいざ読み返そうとすると、平仮名だらけの自分の字が汚すぎて頭が痛くなるんです。それでも落語を続けようと思ったのは、喋ることへの強い欲求からでした。
僕はADHD(注意欠如・多動症)の傾向もあり、この特性の一つに、特定のことに集中しすぎる「過集中」があります。僕にとってそれが喋ることでした。今でも、ストレスをいっさい感じることなく3時間はノンストップで喋っていられます。子ども時代の僕も「喋りたい!」という衝動に突き動かされて、落語を覚えるという面倒な作業も乗り越えられたんです。
15歳で正式に入門し、18歳で二つ目、22歳で真打となり、一見すると順風満帆な道のりに映るかもしれません。でも実際は、子どもの頃から心に根付いたコンプレックスや自己肯定感の低さは長らく影響しました。「柳家小さんの孫」として常に見られるプレッシャーもあり、周囲の自分への評価が本当に自分の実力に基づくものなのか、いつも不安や葛藤を抱えていました。生きるのがしんどいと感じたことも、10代20代は数えきれません。
発達障害を公表
自分を隠さずにさらけ出し、話芸にも変化が
46歳のときに出した自著で発達障害を公表しました。身近な人たちからは公表を止める声もありましたが、僕としては、みっともない自分を見せてでも本当のことを知ってほしいという思いが強かったですね。結果としてカミングアウトして良かったと心から思います。発達障害を自分で受け入れ、それを明かしたことで、自分を包み隠さずに見せられるようになったからです。
それまではずっと、小学校から落ちこぼれていた黒歴史や、大人になった今も読み書きが不得意であることを、隠そう隠そうとしてそれでも隠しきれず、恥ずかしい思いもたくさんしました。ディスレクシアの診断を機に、原因は自分の努力不足ではなくて、先天的なものだとわかり、初めて精神的に楽になれたんです。飛び続けてきた鳥が、ようやく羽根を休める止まり木を得たような気持ちでした。
止まり木ができたことは、自分の心の持ちようや、落語にも変化をもたらしました。長らく見たくないものに蓋をするようにして生きてきたので、自分のことも直視できずにいたのですが、今は違います。「今もって自分の芸風を探っている途中」という話をしましたが、こんなふうに取り繕うことなく自分のことを正直に語れるのも、自分自身を深掘りして見られるようになったからです。この掘り下げ方の深化は、落語のまくらにも反映されていますし、落語の演出も変わってきたと感じます。
発達障害の当事者としての願い
寺子屋をヒントに、得意や好きを伸ばす教育を
発達障害を公表して以降、関連する講演会などに呼んでいただく機会も増えました。そこでは、僕が発達障害の当事者として経験してきたことをお話ししていますが、それはあくまで前段です。僕が本当にお伝えしたいのは、「発達障害ってそもそも障害ですか?」ということなんです。
僕が思うに発達障害というのは、いわゆる定型発達の人と比較しての概念であり、比べて劣る面を見ているに過ぎません。一つの尺度で優劣をつけることや、比較して競わせるようなことをやめれば、“障害”とされているものは泡のように消えてなくなるんじゃないでしょうか。「人と比べない教育」へのヒントが江戸時代の寺子屋にあると思っています。寺子屋ではいろんな年齢の子どもが学んでいて、同じ教科でも教科書の種類がたくさんあり、例えば八百屋の子なら八百屋、大工の子なら大工に必要な、読み書きやそろばんを身につけていきました。そうした柔軟な学び方を現代に合わせて発展させ、自分の得意なことや好きなことを伸ばせる「スーパー寺子屋」のような学校が理想だと考えています。
そうした学びの場では、ADHDの特性である過集中は大きな強みになるはずです。好きなことに苦もなく何時間でも没頭できるので、早いスピードでその道のプロへと成長することもあるでしょう。もう一つ、発達障害の人に多い特性に、目の前のことから意識が離れていってしまう「マインド・ワンダリング」があります。僕もそうで、こうして話をしていても、連想がどんどん膨らんで話題が次々に飛んでいくんですね。この性質をプラスの方向に活かせば、人にはない斬新なアイデアを出せたり、聞き手を退屈させない面白い話ができたりします。こう聞くと、発達障害って何が問題なんだろう?と思えてきませんか。こんなふうに解決策は意外なところにあって、だからこそ視点や発想を変えてみることは大切です。こうした自分なりのものの見方や考え方と、話芸とを組み合わせ、突き詰めていった先に「柳家花緑の落語」が実を結んでいく可能性を感じています。
「笑い」の効能
笑う人、日常の幸せに気づき感謝する人に、運は味方する
心豊かで充実した毎日を送るために、僕がいま大切に考えて実践しているのが「掃除」と「笑い」と「感謝」です。これは僕の心の師である、作家で思想家の故・小林正観さんの数多い教えの一つです。「掃除」をして身の回りを整えると、キレイなものはキレイなものと引き合うので、チャンスや福が巡ってきやすくなるそうです。二つ目の「笑い」が心身の健康に関係することは科学的にも証明されています。それに誰だって、いつも怒っている人より、笑っている人と一緒にいたいですよね。笑顔を絶やさずにいることは、運や人を味方につけることにもつながります。
そして「感謝」は、ないものではなく、あるものに目を向けてありがとうの心を持つこと。僕は字の読み書きは苦手だけれど、こんなにベラベラと喋れる口がある。僕を動かしてくれる体のパーツひとつひとつにも感謝ですし、息ができることだって涙が出るほどありがたい。こうした実感は、本人だけのものだから、誰も押し付けることはできないんです。感謝とはつまり発見することであり、幸せも同じですね。感謝も幸せも、目には見えないけれど実はそこかしこにあって、気づけるかどうかなんです。そして「掃除」「笑い」「感謝」の3つに共通するのは、お金がかからないこと! 全世界共通で、年齢も立場も関係なく、誰でもいつでも実践できるんです。
僕は落語家として「笑い」に深く関わっていますが、笑いも時代で変化しています。昔は笑えていたものが今はそうではない、ということもありますよね。落語の噺にも、今ならパワハラやセクハラになってしまうものだってあります。そうした噺を、時代に合わないからやらない、とはせずに、そこは落語家の技量で見せるんです。例えばまくらで「これ、元祖パワハラ落語みたいなものですから!皆さんそのつもりで聞いてくださいよ」と言い添える。そうするとお客さんは安心して笑えるんです。ほかにも、僕なりの解釈で古典落語に登場人物を1人足して話が丸く収まるようにしたり、オチを工夫して違った後味になるようにしたりと、アレンジも加えています。これは祖父の小さんもやってきたこと。時代の流れの中でいろいろな手が加わりながら、落語という文化は受け継がれています。
僕にとって落語は、自分を表現する方法の一つですね。それと同時に落語を通して、かけがえのない出会いがあり、チャレンジがあり、成長があります。若い頃に自分の存在意義を見失って苦しんだ歳月や、発達障害を受け入れて自分を見つめられるようになった経験も含め、それらすべての道のりの上に僕の芸は形づくられています。落語という交差点を介してこれからもたくさんの人と出会い、新しいチャレンジを続けながら、自分にしか表現できない落語を追求していきたいと思っています。
<INFORMATION>
柳家花緑独演会『花緑ごのみvol.42』
【日時】
2024年10月19日(土)
12:00開演 / 16:30開演
【会場】
イイノホール(東京・千代田区)
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