INTERVIEW
宮本工藝 仏師 宮本 我休氏
歴史のなかの点となり
仏像彫刻を後世に
受け継いでいく。
1000年続く至高の
仏像をめざして――(後編)
全国の寺社にあまたある仏像にはそれぞれに物語があり、長い年月を経て現在も目にすることができます。仏像はどうやってつくられ、どんな思いで生みだされていったのか。服づくりで得た衣紋表現と人体研究を強みに仏師として活躍される宮本我休(がきゅう)さんに、仏師という仕事の意義や修復を通じた技術の継承、めざすものについてお話を聞きました。
前編はこちら
仏師の存在意義
常に自分を内観し、水のような状態で仏像に向き合う
日本における仏像彫刻の歴史は千数百年になります。朝鮮半島からもたらされ、メイドインジャパンの仏像をつくり出したのが平安時代中期。以来、日本の風土、日本人の美意識に根差した仏像彫刻が現代まで続いています。仏像はあくまでも信仰の対象物ですので、時代ごとに新たにつくっていくものではないんですね。連綿と続く歴史のなかの点として仏像をつくるのが仏師であり、点が連なり線となることで仏像彫刻という歴史を後世につなげていく役目があります。「その場限りの表現ではなく、1000年経ってもその時代の方に受け入れてもらえるような仏像をつくりたい」と僕がいつも口にしているのは、そんな背景からです。
僕の仏像制作は少し特殊なつくり方で、同時並行で30体以上を進めています。なぜかと言うと、彫刻とは不思議なもので、その時々の自分の心情や肉体的な面が写し鏡のように出てしまうからです。そのため毎朝自分を内観し、状況にあわせて彫る仏像を変えていきます。心がけているのは、ニュートラルでいること。映画や絵画を観て心を打たれても、ひとつのものだけに囚われないように、常に水のような状態にしておく。水はさらさらと流れ、蒸発すれば空気にもなります。それが僕にとって理想の状態です。
快慶との出会い
取るところと攻めるところ。快慶を追いかけて得たもの
彫刻の話をするときは、いつも砂場の棒倒しに例えています。砂で山をつくり、互いに砂を取り合って棒が倒れたほうが負け、という遊びです。仏像彫刻も同様で、完成は自分のさじ加減ひとつ。あと砂一粒をそぎ落としたら倒れるというギリギリのところまで攻めるのも自分次第です。取るべきところは取り、残すべきところは残す。僕が崇拝する鎌倉時代の仏師、快慶はそのバランスが絶妙で、あと砂一粒というところまで攻めた仏像が2つあります。醍醐寺 三宝院(だいごじ さんぽういん)の弥勒菩薩坐像(みろくぼさつざそう)と、東大寺 俊乗堂(しゅんじょうどう)の阿弥陀如来立像(あみだにょらいりつぞう)です。
快慶に出会ったのは、弟子時代に見た図録でした。「これはなんだ!」と目が釘付けになり、双眼鏡を持って弥勒菩薩像を見るためにお寺に通ったほどです。以来、仏像をつくるときは、図録を開いて像の黄金比を頭に入れて彫っていました。快慶の仏像は特にシンメトリーが素晴らしいんです。奈良の国立博物館に弥勒菩薩像が展示された際は、間近で見られるということで足を運びましたが、そこで衝撃を受けてしまって。弟子入り6年目の頃です。あれほど左右対称で線が美しく整っていると思っていたのに、目の当たりにすると結構歪んでいる。でも、少し離れるとそれが消し飛ぶくらい尊像としての神々しさがずば抜けている。どんなに頑張っても追いつけるレベルではなく、もう自分の作風で彫るのはやめようと1年ほど作品づくりから離れていました。
それでも今、こうして続けているのは快慶が生きた鎌倉時代と今では時代背景がまったく異なりますし、工房の体制も違う。令和の時代に自分にしかできない仏像をつくろうと悟ったことです。自分の長所である衣紋表現と人体表現を活かして勝負をしようと再びノミを握り、独立に至りました。
修復を通じて継承できること
職人、伝統技術が消失する流れに最後まで抗いたい
仏像彫刻にはいちから仏像を制作する新彫と、修復があります。修復が新彫と大きく異なるのは、つくられた方の作風を大前提として進めていく点です。たとえば仏像の右手が欠けている場合は左手の作風をじっくりと研究し、作者を憑依させたような感じでつくり込んでいきます。僕は仏像を見ながらも、作者の人間味を探してしまうところがあって、どんな性格の方だったのかなと、どうしても内側をのぞいてしまう。ときには容姿まで大体分かることがあります。それが合っているかどうかは確かめようがないんですが、作者と時空を超えたコミュニケーションをしているような感覚です。ちなみに僕の大好きな快慶は、相当美意識の強い方だと思うので、かなり男前だったのではと想像しています。
現在、京都にある世界遺産、賀茂御祖神社(かもおみやじんじゃ・通称:下鴨神社)の獅子・狛犬像づくりに携わらせていただいています。第34回式年遷宮事業として建設される祈祷殿(きとうでん)に安置されるもので、すべて日本の素材・技術でやっていこうとスタートしました。材木は木曽ヒノキ、漆は金箔やプラチナ箔を使いますが、プラチナ箔をつくれる職人さんは、世界にたった一人だけ。金沢の90歳の職人さんです。この方が引退されたら継ぎ手はゼロ。どんどん職人さんが減り、技術が消えていく流れはどうしようもないところまで来ていることも事実です。それでも、僕は技術の一端を担う者としてなんとか最後まで抗いたいですし、次の世代に継承していきたいと願っています。
愛知県知多半島の野間大坊(のまだいぼう)さんからご依頼いただいた毘沙門天像修復では、古めかしい状態のまま後世にバトンタッチしていく部分修復です。古く見せる技術は古色技法(こしょくぎほう)と呼ばれる難しいものですが、修復を依頼いただくことでトライアンドエラーを繰り返しながらも技術を身につけ、弟子につないでいくことができます。僕たち仏師に仕事を任せてくださるのは、本当にありがたく貴重なことだと身に染みています。
長いスパンで物事を捉えられる日本人
未来を案じ平安を願う利他の心。日本の思想・文化は世界の規範に
修復に伴う古い仏像の解体では、空洞になっている胎内から予想外のものが出てくることがあります。仏像の中から仏像が出てきて、そのまた中から仏像がと5連続。まるでマトリョーシカ状態ということがありました。また、朝廷に仕えていた方が平和を願う決意のもと髪を切り、和紙に巻いて納められていたこともありました。
胎内に納められている巻物はくずし字で解読できないのですが、それでもなんとか読める箇所を拾っていくと、未来の日本を案じて世のなかが平安であってほしいと願うものが多いんです。独りよがりで今の時代だけ、自分さえ楽しければいいではなく、未来に思いを馳せ自然と利他的な行為をしている。その先人たちの思いを垣間見るとすごく心を揺さぶられます。
日本人は忍耐強いと言われますが、長いスパンで物事を捉えられる民族であり、そうした特性は他にはないものだと感じています。日本の仏教哲学や禅の思想に感動し、さまざまなカタチで発信されている海外のインフルエンサーの方々もいらっしゃいます。悠久の時の流れのなかで培われてきた日本の思想や文化が、きっとこれからの世界の規範になっていくのではないでしょうか。仏像彫刻を継承する役目を担う者としてめざすのは、誰もが自然と手を合わせたくなるような仏像づくりです。ひょっとしたら僕の子孫が1000年後に見てくれるかもしれない。そんな至高の仏像を生涯に一体でも遺してこの世を去りたいなと思っています。
仏像・位牌・修復・木彫刻
宮本工藝
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日本文化を次世代に継承するプロジェクトや、メタバース・NFTを活用した地域活性、アートと教育など、さまざまな企画を進行中。
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