INTERVIEW

熊野本宮大社 宮司 九鬼 家隆

1956年、和歌山県生まれ。國學院大學卒業後、明治神宮に奉職。1985年、熊野本宮大社に奉職し2001年に宮司就任。2016年、和歌山県神社庁長就任。趣味は絵と書。毎年大社に掲げられる一文字揮毫(きごう)と干支は宮司の作。

よみがえりの地として
未来に何が提示できるか。
世代を超え、心に響く
熊野のあり方を届けていきたい

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世界遺産登録20周年を迎えた「紀伊山地の霊場と参詣道」は、和歌山県、奈良県、三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)とそれらを結ぶ参詣道で構成されています。熊野本宮大社は熊野三山の中心的存在として古来より多くの崇敬を集めてきました。神話や伝説が数多くあり、日本の原風景を感じられる特別な場所です。熊野の歴史や地域文化の継承、世界遺産登録20周年に向けた思いについて九鬼宮司にお話を聞きしました。

よみがえりの地

大自然のなかに神と仏が
共存する聖地、熊野

神社仏閣には日本全国、北から南までそれぞれの地域に根付いた伝統文化というものがあります。太平洋に突き出た日本最大の半島、紀伊半島にある熊野は険しい山々と森に囲まれています。古代より自然信仰が育まれてきた地域ですが、奈良時代になると仏教が伝来し、修験道(※)の聖地であったことから真言密教とも結びつき、独自の熊野信仰を生みだしました。平安時代には法王や上皇が京都から熊野古道を歩いて何度も参詣され、やがて庶民にも広まり「蟻の熊野詣」の言われるほど、身分や男女を問わず多くの人々が救いを求めて熊野を目指しました。

※修験道 日本古来の山岳信仰と仏教等が結びついて生まれた宗教

熊野本宮大社は全国に約3000社ある熊野神社の総本宮。
旧社地に社殿が創建されたのは
崇神天皇65年(紀元前33年)の頃と言われている

明治になると神仏分離(※)という歴史的な出来事が起こりますが、神道、仏教、密教が溶け合った熊野は歴史的にもいち早く神仏習合を取り入れ、神と仏の一体を示した場所です。神に祈り、仏に手を合わせるということは、過去から延々と続く祖先の御霊を通して、自分の生きざまを振り返り、気づきを得ることに意味合いがあるのだと思います。熊野本宮大社(以下、本宮)では神は父であり、仏は母であるという意識を持っています。おまつりしている主祭神は家津美御子大神(ケツミミコノオオカミ(スサノオノミコト))、仏名は来世のご加護をいただく阿弥陀如来です。熊野に行くことによって心の安らぎを得て気持ちが切り替わる、そして再び前に進んでいく。そのような蘇りの地として本宮へ足を運んでいただければと思います。

※神仏分離 神道と仏教との区別を明確にしようとする明治初期に起きた維新政府の宗教政策

世界遺産登録20周年

20年は大きなひと区切り。
何を示し、どう届けていくか

2024年は世界遺産登録20周年という大きな節目、少し前でしたら成人を迎える区切りの年です。世界では紛争が起き、今は平和を願うばかりの世の中です。自分という「いのち」の捉え方がなにより大切な現代だからこそ、蘇りの地である熊野から、これから先に向かって世界に何を発信しどう届けていくのか。参拝者の方、海外からのゲスト、ジャンルを超えた様々な方々からお話をお聞きし、世代を超え地域一体となって進めていくことができればと常々考えています。

日本神話で神武天皇を熊野から奈良橿原まで
道案内したと言われる八咫烏(やたがらす)。
導きの神として熊野のシンボルになっている

当社に何度も参詣されていた漫画家の荒木飛呂彦さんにお守りをデザインいただいたのも、そうした思いからです。コシノジュンコさんには世界遺産登録20周年記念の特別御朱印帳をデザインいただきました。世界平和と永続的な未来を願う気持ちは共に同じ、「蘇りの地である熊野は精神的な場所。なにかできることがあれば表現していきたい」とおっしゃっていただき実現しました。

八咫烏をデザインした特別御朱印帳はコシノジュンコさん作。
右は『ジョジョの奇妙な冒険』の作者、荒木飛呂彦さんデザインのお守り

地域の伝統文化を伝えていくために

お祭りを知ることは
地域の歴史を知ることにも
つながる

日本には多くの神社があり、地域の守り神、氏神さんとして守られていますが、少子高齢化、過疎化が進み、お祭りをしたくても人手がなく神輿が出せない、祭礼の決まった日に人が集まらないといった厳しい現状があります。なかには宮司一人で30、40社も兼務しているケースがあり、地域も離れているため本当に大変です。宮司だけでは対応できないので、奥さんや氏子の方が神職の資格を取り、どうにかお祭りを絶やさないように守っています。地域の伝統文化を継承していくためには、地元の方だけではなく、他の地域の方々や学生さんにもお祭りに参加していただくなど輪を広げていかなければと思っています。

本宮でも毎年4月に例大祭「本宮祭」を行っていますが、世界遺産登録20周年の今年は海外の方にも広くお声がけし、神輿の担ぎ手として参加いただきました。熊野という空間でお祭りという非日常を体験していただくことで、人と人のつながりや調和する意識が生まれるはず。熊野に行って日本のお祭りはよかったな、他の神社でも参加したいなと、何かきっかけにつながればと参加者の広がりを進めています。

2024年4月13~15日に行われた例大祭の渡御祭(とぎょさい)にて

お祭りを知ることは地域の歴史を知ることにもつながります。父母、祖父祖母、世代を超えた人たちが皆でわぁわぁ言いながらお祭りの準備をする。一つのチームになって昔から続いてきた行事を執り行う過程には、言葉では言い表せない尊い何か、血の通った生活空間が生まれると思います。

混沌とするこれからの時代を見据えたとき、日本の精神やあり方を示すなかで人々に元気を与えられるお祭りが新たな発想できあがっていけば、すごく意味が出てくると思います。ただ守るだけではなく、今を生きる人たちの感性を柔軟に活かす。時代の変化もしなやかに取り入れていくことが、地域ひいては神社の活性化にもつながると考えています。

先代宮司の決意

次の時代へ向かうあり方を
打ち立てた日本一の大鳥居

先代宮司である私の父(1914~2003年)は、戦後間もない1951年に熊野本宮大社の宮司に赴任しました。社殿の裏には畑があり、朝お勤めした後にクワをもって畑を耕し、野菜を植える。ご祈祷をされた方にお渡しするお札やお守りはすべて手づくりで、その光景を子どもながらによく覚えています。紀伊半島は水害の多い地域で、洪水になると丘の上にある本宮は地域の方が避難する場所になります。すると神社にあるものすべてを提供して、私の母と地元の女性が大量の炊き出しを行います。1週間、2週間と皆で過ごし、災害を共に乗り越えていく。当時、どこの神社もそうだと思うのですが、人のつながりが濃く、常に一緒になってやっていました。そんな集合体としての神社の意義は時代とともに薄れてきました。だからこそ、お祭りのような行事を通してもう一度皆がつながっていくということが必要だと感じています。

熊野本宮大社の旧社地である大斎原(おおゆのはら)に、日本一の大鳥居を建立したのは先代宮司です。当時はバブル崩壊後、心のすさむ出来事も多くありました。「このままではいかん。本宮の使命は次の時代に向かうあり方を示すこと。熊野から日本の再生を願いこの場所にゆるぎない大鳥居を建てるのが、私の神職としての最後のお勤めだ」と言い、誰が何を言おうとその決意は変わりませんでした。父に会われた方は、皆さん口を揃えて熊野そのものだと言われていました。眼光鋭く神職としての信念を持っており、悩んでいる方がいれば「くよくよしているとお先真っ暗だから、嫌でもとにかく笑え」と声をかける。親しみやすく、とても明るい人でした。

1999年に完成した大鳥居は高さ34m、幅42m。
大斎原(おおゆのはら)はかつて本宮が鎮座していた場所で、
明治22年(1889年)の熊野川の大水害により
多くの社殿が流出。
当時は神楽殿や能舞台などもあり
現在の数倍の規模を誇っていた

私は両親から神職を進められたことは一度もなく、若い時分はスーツを着て働く仕事に憧れていた時もありました。少し面白いエピソードがあるのですが、本宮の長い歴史のなかで境内で産声を上げたのは私だけなんです。当時、日照り続きで飢饉で苦しいなか、雨乞いをしてほしいと相談された父は、真夜中に大斎原の裏手に行きご神事を行うわけです。すると翌日の昼頃に空が曇り出し、雷と共に大雨がザザッーと降り出した。まさにそのとき私が産まれたと。この話は私が小さい頃、近所の駄菓子屋さんから教えてもらいました。冗談と思って母に聞いたらその通りだと。こうやって振り返ると、ここで生をいただいたことが、自然の流れのなかで今の私につながっているのだと感じます。

心に従い前進

多くの方と
熊野の心を分かち合える
取り組みに力を尽くす

本宮では、毎年12月に新年への希望を込めた一文字揮毫(きごう)を行っています。清水寺さんで発表される『今年の漢字』は、1年の世相を一文字で表したものですが、神社は多くの方が初詣に行くところ。来年はこうあってほしいという願いの一文字があってもいいのではと始めた取り組みです。字を書いたり絵を描くことは20代から始めた私の趣味でもあり、本殿前の門に掲げられた大絵馬や、新年の参拝者の方にお渡しする色紙の干支も毎年描かせていただいています。

16回目となる2024年は『運』を揮毫。
「幸運、仕事運、健康運と、皆さんに色々な運が
舞い込んでくるように、運をもって昇り竜のような
1年を過ごしていただければ」(九鬼宮司)

本宮の役目は、未来に向かって前進させる方向性を示していくことです。世界遺産登録20周年という節目も、ただ周年事業として終わってしまっては意味がありません。海外からも大勢の観光客がいらっしゃるなか、世界遺産としての本来の熊野のあり方、地域全体としてこれから何を提言していくのか、そこにメッセージ性がなければ人の心には響かないと思っています。

神社での参拝の作法に二礼二拍手一礼があります。作法の意味を知らずして形だけまねることより、いちばん大事なことは心を込めて手を合わせることです。形や固定観念にとらわれるのではなく、自然に心で行うことが見えない神、仏に通じると私は思っています。

心に従って動くことで、世代やジャンルを超えた様々な方々と出会い、あたたかい言葉や協力をいただいたり、これまでありがたいご縁に恵まれてきました。心で祈るのがここ熊野という地。これからも立ち止まらず、常に前に向かって、多くの方と熊野の心を分かち合える取り組みに力を尽くしていきたいと思います。ときにはスムーズにいかないこともあるでしょう。しかし、そこには大きな意味があり、ヒントが隠れているかもしれません。そのすべてが私にとって大きな楽しみなのです。

熊野本宮大社

和歌山県田辺市本宮町本宮

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