INTERVIEW
株式会社トノハタ 代表取締役社長 殿畑 雅敏氏
梅干しの1粒1粒に宿る
先人の努力と知恵。
いにしえからのバトンを
つなぎ次の1000年へ
日本の食文化に深く根ざす「梅干し」。和歌山県で梅干しの製造・販売を手がける株式会社トノハタの殿畑雅敏氏は、食品会社で初めて2009年にカーボン・オフセット認証を取得し、また減塩梅干しをいち早く商品化するなど、先駆的な取り組みで知られます。そして現在、力を入れているのがメタバースを活用した和歌山の魅力発信です。挑戦を重ねる原動力や、その先に描く梅干しの未来とは。殿畑氏にお話を聞きました。
メタバース空間での新たな試み
和歌山の魅力を世界の人々に知ってもらう入口に
私が社長を務める株式会社トノハタは、「南高梅(なんこううめ」」の発祥の地でもある和歌山県みなべ町で、創業から70年以上にわたり梅干しの製造・販売を手がける会社です。日本の食卓に欠かせない梅干しは、古くは平安時代の書物にも登場するなど、1000年以上前から食べられてきました。ご飯のお供だけでなく、暑い日や疲れたときに無性に酸っぱい梅干しが食べたくなる方も多いのではないでしょうか。それくらい日本人にとって梅干しは、理屈抜きで食べたい気持ちが湧き上がるような、いわば遺伝子レベルで体が求める食べ物のように私は感じます。
梅干しの魅力をより多くの方に知っていただくと同時に、梅干しの本場であるここ和歌山の魅力も世界に向けて発信したい。そんな思いから今取り組んでいるのがメタバースの活用です。世界遺産にも登録されている熊野古道や熊野本宮大社をメタバース上に再現し、ゲームコンテンツなどを通じて地域の伝統や文化に触れていただくサービスで、2024年中のスタートに向けて準備を進めているところです。
和歌山に生まれ育った者として、そして地域の伝統である梅産業に携わる者として、この場所のすばらしさを世界の方々に知ってほしいという思いが強くあります。和歌山って本当にすごいところなんです。熊野三山があり、高野山があり、さらに奈良の吉野・大峯とも参詣道で結ばれている。まさに日本の精神文化の塊といえる土地です。メタバースでの仮想体感を通して、和歌山の魅力の一端に触れて、まずは興味を持っていただきたいですね。それが、和歌山に実際に足を運んでいただくきっかけづくりにもなると考えています。
カーボン・オフセットの取り組み
地球環境に負荷をかけないものづくりを追求
日本の食と切っても切れない梅干しは、ありがたいことに「おいしいから」「好きだから」と継続的に買ってくださるお客様が多くいらっしゃいます。それと同時に「体に良さそうだから」という購買動機も多く、そうした方々に向けて梅干しの効用を医学的にお伝えすることも、私たちものづくり側の責任だと捉えています。そこで20年ほど前から当時和歌山県立医科大学(現在は大阪河崎リハビリテーション大学)内に病理学の宇都宮先生を中心に機能性医薬食品探索講座を開設し、当社を含め4社の梅加工会社が連携して梅の健康効果を医学的に研究する取り組み(紀州梅効能研究会)も続けています。
梅干しに多く含まれるクエン酸には疲労感を軽減する効果があるということをもとに、クエン酸を減らさずに塩分のみを大幅にカットした「クエン酸たっぷり梅干」を開発し、梅干しで初めて機能性表示食品として受理されました。「梅干しは好きだけれど塩分が気になる」いう方にもぜひ食習慣に加えていただきたいですね。
こうした商品開発と並行して注力してきたのが、地球環境になるべく負荷をかけないものづくりの追求です。2009年4月に環境省のカーボン・オフセット認証制度がスタートし、その年の8月に食品業界で最初(日本全体では3番目)に認証を取得しました。内容を簡単にご説明すると、ギフト品を中心とする当社の一部商品について、原料の梅の栽培から、商品加工、流通に至るすべての工程で生じるCO2排出量を算出。それを上回るカーボンクレジットを購入することで、温室効果ガスの削減活動に投資してオフセット(相殺)しています。
カーボン・オフセットに関心を持ったのは、2005年に「京都議定書」が発効したタイミングです。そのとき最初に頭に浮かんだのは「和歌山の広大な梅林はCO2の吸収源として、カーボンクレジットを提供する側になれるのでは?」という発想だったんです。詳しく調べるなかで、残念ながら梅林はクレジット化の要件を満たさないことが分かったのですが、それならばとアプローチを変えてカーボン・オフセットに取り組むことを決めました。2009年以降、現在まで毎年認証を継続しています。
挑戦への後押し
人がしていないことをする。そこに存在意義がある
カーボンクレジットの購入費は商品価格に転嫁しておらず、純粋に自社負担です。また、広告費をかけて取り組みを広くPRすることも我々のような中小企業には難しく、ブランディングにつなげる目的でもありません。それでも地道に継続しているのは、地球環境の未来を考える上で、取り組む意義は大きいと思うからです。それに加えて、人がしていないことしたい、という私の性格も影響していますね。その思いは家業を継いだ当初からありました。
トノハタの歴史は、私の父が1950年に創業した梅干し販売の殿畑商店に始まります。その10年後に生まれた私は、両親から折に触れて「ご先祖があってのあんたや。ご先祖の墓を守るのはあんたの役目や」と言われて育ち、家業を継ぐことは自然なことだと思っていました。いま思えば一種の刷り込みですね。地元を離れて東京の大学で学んでいる間も、気持ちが揺らぐことはありませんでした。
大学を卒業し、和歌山に戻って家業に携わり始めて数年後。父が大病を患い、25歳の私が社長業を代行する事態に直面しました。当時はまだ右も左も分からない頃で、会社の5年後、10年後を描けるような経験値もなく、目の前のことをやるだけで精いっぱい。入院中の父に負担はかけまいと、1年ほどは父に仕事の話は一切せず、すべて自分で決断していました。振り返ると、20代のうちにこうした経験を積めたのはありがたいことでした。経営者というのは決断の連続で、遅かれ早かれ必ず直面するわけです。当時はとてもしんどかったけれど、いろいろな問題や壁に直面しながらも考えて答えを出し続けた、その積み重ねが自分の礎になりました。
ほかの人がしていないことや、まだ誰もできてないことを、いち早くやってこそ自分の存在意義はあると私は思っています。何より、その道のりが好きですし楽しい。これまで「業界初」と呼ばれるような取り組みをいくつか実現してきましたが、「これを成し遂げた」と胸を張れるものは、まだないですね。あるとしたら、きっとこの先に出てくるはず。そう信じて前を見続けたいと思います。理想をいえば、未来の人たちが梅産業や地域の歴史を振り返ったときに「あの人がこれを始めたんだ」「あの人がいたから今こうなっているんだ」と記憶されるような存在でありたい。そんな憧れがあります。
梅干しのこれまで、これから
同じ船に乗る仲間同士、知恵を出し合いたい
「UMEを世界語に」。トノハタが掲げるこのビジョンには、梅市場を国内外に広げていくことだけでなく、日本が誇る梅干しという食文化を世界に知ってもらいたいという思いを込めています。「梅の仕事をしています」と自己紹介したときに、「すばらしい仕事だね」「かっこいいね」と世界の人から言ってもらえるような、会社や業界の未来を実現したい。それは地域に暮らす人々にとっても、地元へのより大きな誇りにつながると思っています。
そのための取り組みは数年で結果が出るものではなく、1社だけでできることでもありません。梅農家、梅加工業者、JA、行政なども含めてタッグを組み、知恵を出し合うことが大切です。その中には利益相反する間柄もあれば、競合関係もあり、それぞれに考え方も異なるでしょう。しかし突き詰めれば皆が「紀州南高梅」という同じ船に乗っている仲間なんです。船が向かう方向は一つ。このブランドをより強固なものにし、マーケットを拡大させていくことに尽きます。
私が家業に入った約40年前、「紀州南高梅」のブランドは今ほどの規模ではないにしても、すでに確立されていました。何ごともそうですが、最初にゼロから生み出した人の苦労は並大抵のものではなく、さらにそこから「もっとおいしく」と努力を重ねた先人たちの一歩一歩があって、今があります。時代を越えて脈々と続いてきた梅文化を、次の1000年へとつなげたいですね。その中継者として、次の世代に喜んでバトンを受け取ってもらえるように、自分にできることを追求していきたいと思います。
クリエイティブコラボは、コラボレーショの力で新しいサービスや価値を創造していきます。
日本文化を次世代に継承するプロジェクトや、メタバース・NFTを活用した地域活性、アートと教育など、さまざまな企画を進行中。
一緒にコラボしたいクリエイター、企業の方、ぜひお気軽にエントリー&お問い合わせください。