INTERVIEW

明治大学名誉教授
アメリカ文学研究者
越川 芳明

千葉県銚子市出身。明治大学文学部教授、同大学副学長などを経て、2023年より同大学名誉教授。アメリカのポストモダン文学を中心に、英語圏のポストコロニアルの文学、中南米の先住民やアフリカ系の周縁文化の研究に携わる。主な著書に『キューバ 二都物語』(彩流社)、『カリブ海の黒い神々―キューバ文化論序説』(作品社)、『ギターを抱いた渡り鳥―チカーノ詩礼賛』(思潮社)、『トウガラシのちいさな旅―ボーダー文化論』(白水社)など。

「境界」に立ち、
視点を180度転換すれば
山積する課題の中にも
光は見えてくる

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アメリカ文学研究者で、海外文学作品の翻訳も多く手がける明治大学名誉教授の越川芳明氏。中南米の周縁文化の研究にも注力し、キューバの黒人信仰の司祭の資格を日本人で唯一取得したユニークな経歴の持ち主です。文学の魅力や、新たな研究フィールドへと踏み出した経緯、ボーダーの視座から見えるものなど、お話を聞きました。

40代でスペイン語を学習

世界を旅するなかで覆された「英語は万能」の考え

もともと僕は現代アメリカ文学が専門で、90年代半ばからは、米国とメキシコとの国境地帯をはじめとする世界のボーダー(周縁、境界)文化をめぐる現地調査を続けています。その一環で2008年からキューバに通うようになりました。カリブ海に浮かぶこの島国の芸術や音楽を理解する一助になればと、現地で抑圧された人々の信仰を集めるアフリカ系宗教「サンテリア」に関心を寄せるうちに、その深い思想体系をもっと知りたくなって。黒人司祭に弟子入りして修行し、2013年に最高司祭「ババラウォ」の資格を得ました。まさにミイラとりがミイラになったわけです。

これまで何度もキューバに通い詰め、キューバに関する著書も複数出していますが、最初に訪れたのは50代半ばを過ぎてから。中南米でのコミュニケーションに欠かせないスペイン語を学び始めたのも40代半ばになってからでした。その当時、客員教授として滞在していた米国サンディエゴの大学で、学部の1年生と机を並べてスペイン語初級クラスの授業を受けたのが始まりです。きっかけは、メキシコ系アメリカ人のバイリンガル女性詩人、グロリア・アンサルドゥアの本との出会いでした。国境地帯のメスティーソ(混血)の歴史や暮らしが英語とスペイン語でつづられた不思議かつ魅力的な本で、この作品と真に向き合うにはスペイン語を読めなければならないと思ったのです。

サンテリアの師匠(パドリーノ)と

もう一つ、英語以外の外国語を学ぼうと思った大きな理由があります。それは、世界を旅するなかで「英語は万能ではない」と痛感したから。特にサンディエゴ滞在の数年前に、モロッコを訪れた際の体験は強烈でした。アラビア語がまったくできない僕は、現地の子どもに誘われるまま絨毯屋に連れていかれ、店主たちから高価な絨毯を買わされそうになって。どうにか店から抜け出すまでに、ずいぶん肝を冷やしました。英語ができれば世界中の人と意思疎通が図れると思い込んでいたけれど、間違いだった。これから米墨国境地帯のボーダー文化を研究しようというときに、征服者の側の言語である英語だけでアプローチするのはナンセンスじゃないか、と気づけたのも、モロッコでの苦い経験があったからです。

キャリア中盤から新たなフィールドへ

最先端の実験的な文学に触れてきたことが、挑戦への後押しに

境界地帯が自分の研究フィールドになるとは、ましてやキューバで司祭になるとは、かつては想像もしていませんでした。スペイン語を習い始めたとき、周りからは「40歳を過ぎての恋愛と語学は身につかないよ」と軽口も叩かれたけれど、チャレンジすることに迷いはなかった。それは、好奇心旺盛なもともとの性分に加えて、ポストモダン文学を研究してきたことも関係しています。

アメリカのポストモダン文学は、旧来の古典的な文学の秩序を打ち崩すように、最先端の実験的な試みが日々行われているジャンルです。時間軸や空間軸が目まぐるしく移り変わる作品もあって、翻訳にもすごく骨が折れるんです。そんなポストモダン文学の研究を続けて40代になり、研究者人生の折り返し地点で「この先どうするべきか」を自問したとき、おのずと答えは出ました。「新しいことをやってなんぼ」のイノベーティブな文学に魅了されて研究してきた自分が、同じところにとどまり続けるのは違うな、と。

それでスペイン語を学び、ボーダー文化研究に踏み出すわけですが、その時点で人生をいったんリセットした気持ちでした。だけど実際はちょっと違って、それまでの経験が無に帰するわけでは決してなかったんです。研究フィールドや言語は変わったけれど、それは、切り替えが利くスイッチ機能を自分の中に備えたようなもの。折々の場面で過去の経験や知識は役立ちました。例を一つ挙げると、サンテリアの司祭の仕事にイファ占いがあります。イファ占いにはたくさんの神話が付随していて、司祭はそれらの神話を織り込みながら依頼者に運勢を伝えます。その際、依頼者の心に届くように僕自身の言葉に変えて説明すること、つまり「翻訳」が大事になる。これまで長く携わってきた文学解釈や作品翻訳の経験は、間違いなく活きています。

キューバの首都、ハバナにて

キャリアの節目で「このままでいいのか」と迷う人は少なくないと思いますが、何か心ひかれるものがあるのなら、チャレンジする道をお勧めしたいですね。今までやってきたことは無にはなりませんし、まったく別の分野に進んでも、人間というのは経験を何らかの形で活かそうとするものです。その過程で、思いもよらない自分の新しい一面が引き出されることもあるでしょう。人生って、守りに入ったまま過ごすには長いですよ。攻めに行った方が張り合いも出て、断然楽しいと思います。

境界から世界を見る

「異文化を生きる」ことで培われるボーダーの視座

キューバで友達になったハバナ大学の先生がよく言っていたのが、「異文化を理解するんじゃなくて、異文化を生きないとダメだ」。その国を知りたいなら、現地の人たちが食べているものを食べ、聴いている音楽を聴き、生活を共有して、その国の人にならなければいけない、と。この言葉を胸に、日本人として生まれ育った僕の中に、アメリカ人の自分、メキシコ人の自分、キューバ人の自分を息づかせ、それらが重なる部分を鋭く磨くことを意識してきました。僕は日本人、アメリカ人、メキシコ人、キューバ人、そのどれでもないし、どれでもある。そんな感覚です。異質なもの同士が、単に隣り合うのではなく、互いに重なり合うところから、新しい価値は生まれてくる。いみじくも、これがボーダー文化なんです。

複数の国家やエスニシティ、言語にまたがるボーダー文化・文学を研究するなかで、こうした境界領域は多義性や多様性の宝庫だと気づきました。どちらでもあって、どちらでもない中間地帯に身を置くことは、ステレオタイプに染まらないものの見方や発想につながります。ボーダー文学は、従来の国別に分類されてきた文学の枠組みに収まらない新しい世界の捉え方であり、そこから見えてくる現代社会の本質があると思います。

ものごとをこちら側だけでなく向こう側からも見てみる。これは文学の視点でもあるんです。文学の方法論の一つに「パラドックス(逆説)」があります。矛盾しているように見えて真実を述べていたり、あるいは逆に、一見正しく思える論理から、納得しがたい結論に行きついたりする。このパラドックスを踏まえて世界を眺めれば、問題が起きている場所や、ピンチの局面にこそ、チャンスが潜んでいるかもしれないと気づくでしょう。例えば日本が直面する「過疎化する地方」は、見方を変えれば「その土地ならではの希少性がある場所」とも捉えられ、そこに新しい価値を見いだして魅力を打ち出すこともできるかもしれません。

日曜日に「ルンバ」のお祭りがひらかれるハバナの路地

文学は、山積する社会課題の解決に直接は寄与しないかもしれない。だけど発想の転換の助けになるはずです。加えて文学は、「道徳」とは違って、世の中の秩序を揺さぶり、社会的にネガティブとされてきたものをポジティブに転換できる装置でもあります。さまざまな文学に親しみ、その論理や視点に触れることは、これからの社会を考える上でも意味のあることだと思います。

「サンテリア」司祭として

その人らしく、もっと楽に生きられるよう手助けしたい

大学を定年退職した今も、言語や文化の境界、さらには生と死の境界領域も含め、ボーダー文化・文学の研究を続けています。近年はハワイの先住民の文化に関心を高め、現地に長期滞在して「異文化を生きる」ことを実践しながら、研究を進めています。

サンテリアの太鼓

ハバナの海岸通りにある支倉常長(はせくらつねなが)の像
(1614年、伊達政宗の命を受け、遣欧使節団180人を連れて
ローマに向かう途中、日本人で初めてキューバを訪問した)

ハバナの海岸通りにある支倉常長(はせくらつねなが)の像
(1614年、伊達政宗の命を受け、遣欧使節団180人を連れて
ローマに向かう途中、
日本人で初めてキューバを訪問した)

サンテリアの太鼓

並行してサンテリアの司祭として、この宗教の奥深い世界を日本の人たちに紹介する活動にも注力したいですね。西アフリカからキューバに伝わったサンテリアでは、アフリカの神々(オリチャ)たちが運勢に深く関与します。古代神道の世界には、『古事記』に見られるように神々にまつわる神話がたくさんありますが、サンテリアにもオリチャたちの神話がたくさんあります。日本の人々にオリチャを知ってもらうために、いま試みているのが、神道に重ねて説明することです。例えば、旅や移動をつかさどるオリチャ「エレグア」は、神道でいえば、みちひらきの大神といわれるサルタヒコに通じるものがあります。また、自然崇拝やアニミズムの考え方も、両宗教に共通する要素です。それらを手がかりに、サンテリアの神々と神道の神々の「習合」、つまりコラボレーションの可能性を探っているところです。

現代社会にはいろんなストレスがありますよね。人々がそうしたストレスやプレッシャーから解放され、本来あるべきその人の姿で、やりたいことにチャレンジしてほしいと願ってやみません。サンテリアの神話には、人がより楽に生きるためのヒントがあると思っています。文学もそうですね。社会の秩序や道徳に縛られた毎日から、ふっと解き放ってくれる力を文学は持っています。文学、ボーダー、そしてサンテリア。培ってきたこれらの知見や視点を活かして、皆さんの心を少しでも軽く、明るくする言葉を発信していければと思います。

クリエイティブコラボは、コラボレーショの力で新しいサービスや価値を創造していきます。
日本文化を次世代に継承するプロジェクトや、メタバース・NFTを活用した地域活性、アートと教育など、さまざまな企画を進行中。
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