INTERVIEW

株式会社イケガヤ 会長 池谷 芳明

1947年生まれ。父・池谷芳郎氏が1939年に創業した鰹節問屋・池谷商店を2代目として継承。削り節を小袋に入れた「かつおぶしスライス」をヒットさせる。1973年株式会社イケガヤを設立し、麺類を中心としたギフト商品の開発に注力。代表を息子の太郎氏に委ねた今日も精力的に乾物の未来像を描いている。

創意工夫で“乾物”に
イノベーションを。
日本が誇る
伝統食を次世代へ、世界へ

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日本の食卓に欠かせない食材として古くから親しまれる乾物。1939年から乾物類の加工・販売を手がける株式会社イケガヤの会長・池谷芳明氏は、アイデアと工夫を凝らした斬新な商品を通して、乾物の新たな魅力を発信しています。これまでの歩みや自身の発想の源、伝統食・乾物への思いを池谷氏にお聞きしました。

1939年「池谷商店」創業

鰹節問屋として日本橋で創業。
百貨店での魚の販売が評判に

私の父、池谷芳郎が戦前の昭和14(1939)年に東京・日本橋で創業した鰹節問屋「池谷商店」が、イケガヤのはじまりです。明治生まれの父は8人きょうだいの下から2番目。静岡県焼津市の実家も鰹節屋でしたが、兄たちが家業を継いでいたため、父は尋常小学校を卒業後、焼津に古くからある別の鰹節屋に入りました。月に1度、東海道本線の普通列車で片道5時間ほどかけて上京し、上野のアメ横にある海産物店などに営業回りをしていたそうです。その後、焼津の勤め先が店をたたんだのを機に、単身、東京に出てきて自分の店を持つことを決めました。それが池谷商店です。

日本橋で鰹節の卸販売を始めた父は、焼津産を中心に、鹿児島の枕崎、三陸の女川、気仙沼など全国各地の鰹節を仕入れ、都内や近隣県の小売店に納めていました。ここで言う鰹節とは、原料のカツオをおろして加工し、数か月かけて固く乾燥・熟成させた仕上げ節のことです。今の若い世代の皆さんは実物を見たことがある人のほうが少ないかもしれませんね。その鰹節がぎっしり詰まった30キロほどある木の樽が1ロットで、これをリヤカーに積んで自転車で引き、遠くは埼玉の草加あたりまで配達していました。子どもだった私もリヤカーを後ろから押して手伝った記憶があります。

本格的に家業に携わったのは25歳頃。当時は鰹節を薄く削った削り節を都内の百貨店に納入していました。本当は鰹節そのものを卸したいけれど、百貨店ではすでに大手の鰹節メーカーや産地の鰹節屋とも取引していて、そこに入り込むのは難しい。どうすればお客さんとの接点を増やせるか思案し、私が始めたのが鮮魚の産地直送販売です。毎日、夜中の3時から自分で車を運転して静岡の沼津へ通い、早朝の漁港で魚を仕入れて東京にとんぼ帰りし、開店直後の百貨店の催事場で売るんです。「産地直送」の言葉もまだ世になかったような時代。珍しさから大好評を博し、実績が百貨店に認められて鰹節も置かせてもらえるようになりました。鰹節を2本セットにし通常よりも値段を抑えて販売したところ、こちらも評判になり、1日に200セットが出たことも。昭和40年代当時は、家庭で鰹節を削る光景がそれくらいまだ日常的でした。

ギフト商品の開発に注力

信頼のおける全国の生産者とのつながりが財産

当時は高度経済成長のただ中で、人々の暮らしが大きく変化した時代でもあります。鰹節を削る家庭が徐々に減っていたことから、新商品として、細かく削った削り節を小袋に入れた「かつおぶしスライス」を発売。さらに、百貨店からの勧めもあり、奈良の名産品である三輪素麺と削り節をセットにした贈答品を開発し、どちらもヒット商品になりました。このときの試みが、今につながる麺類ギフトを主軸とした業態転換に結びつきました。

その後に手がけた「日本五大素麺詰合せ」や「日本三大うどん詰合せ」は、今も人気の高いイケガヤのロングセラーですが、商品誕生の背景には思いがけない縁がありました。最初に三輪素麺を仕入れた奈良の生産者さんを起点に、製麺業界でイケガヤが少しずつ知られるようになり、百貨店との取引の道を探っていた各地の製麺業者さんから次々に問い合わせが入るようになったんです。そうして広がっていった生産者さんとのつながりから、詰合せ商品は実現しました。

これまでの商いを通して私自身、乾物を見る目や、味の違いを区別する舌はおのずと磨かれてきました。しかし一方で、あらゆる食材に関して、本当の意味で経験に裏打ちされた見識を有しているのは、生産者のほかにはいない。私はそう考えています。だからこそ問屋業にとって大切なのは、いかに信頼のおける生産者とのつながりを全国に持てるか。取引するのは「物」ですが、その前提として信頼し合える「人」を探すことが我々の仕事とも言えます。そうした思いから、各地の麺類の産地に足を運び、生産者の皆さんのものづくりへの信念に触れ、受け継がれてきた技を知ることにも努めてきました。築き上げた全国の生産者さんとの信頼関係がイケガヤの強みであり、新たな商品を生み出す力にもなっています。

新商品「さかなのうた」

うまみと栄養が凝縮された乾物を、食べやすいおやつに

2023年4月、乾物おやつ「さかなのうた」シリーズを専門に扱う自社ECサイトを新たに立ち上げ、販売を開始しました。この取り組みの発端も、人との出会いです。ドイツで長らく心臓治療に携わってこられた日本人医師の方と親交を深める機会に恵まれ、ドイツではこの30年で子どもがお菓子を食べる量が5倍に増え、肥満や体力低下などの影響が出ていることを知りました。これはドイツに限った話でなく、日本やほかの多くの国々も傾向は同じでしょう。長年扱ってきた乾物を使って、次世代の子どもたちの健やかな成長を支えられないか。その思いから生まれたのが「さかなのうた」です。

「さかなのうた」は、栄養豊富な乾物を手軽に味わえるように加工した商品です。鰹節をはじめ、貝柱、エビ、わかめなどの海産物を使用し、なるべく素材に近いかたちで加工。小さなお子さんも食べやすい味や形状、食感を追求して試行錯誤を重ね、あらゆる年代の方においしく味わっていただける商品ができたと自信を持っています。乾物にあまり馴染みがない子育て世代の方々も含めて、「さかなのうた」を入り口に、乾物の魅力に出会っていただきたいと願っています。

「さかなのうた」は絵本のようなパッケージデザインも特徴的です。親子で一緒に手に取って、おやつの時間を豊かにしてほしいという思いに加えて、お子さんやお孫さんへの贈り物に選んでいただきたいという意図も、このデザインに込めています。育ち盛りのお子さんに栄養のつまった天然素材のおやつをプレゼントし、家族みんなで一緒に楽しむ。そんな新しい風習をはぐくみ、根付かせることができれば嬉しいですね。子どもの健やかな成長を願う心は世界共通だからこそ、日本発の文化として世界にも広げていくことを目指しています。

伝統食「乾物」への思い

イノベーションと協業を鍵に、乾物の魅力を発信したい

保存ができ、凝縮されたうまみと栄養価が特長の乾物は、先人の知恵として日本の食文化に根付いてきました。多種多様な食品が流通する現在では、昔ながらの乾物の需要は減少傾向にあり、それは仕方のない面もあります。本音を言えば、鰹節からだしをとってほしいですし、その方が味も風味も良いのは確かですが、忙しい現代社会で手軽なだしの素が選ばれるのは必然でしょう。多くの乾物生産者が「良いものを届けたい」「添加物のない商品を作りたい」と信念を持ってものづくりに励んでいますが、それだけではなかなか消費者の心に響かないのが現状です。

世の中が変わり続けるなかで食文化を未来につなげるには、従来の考え方にとらわれないイノベーションが必要だと思います。今回の「さかなのうた」を皮切りに、これからも、乾物をもっと食べやすく仕立てる工夫や、日常的に乾物を食卓に取り入れるアイデアの発信に力を入れていくつもりです。例えば、めんつゆを希釈する際、コップ1杯の水に昆布を1片入れ、一晩水出ししただし汁を使うだけでも、風味は格段に増しますよ。ぜひ試してほしいですね。そしてもう一つこれからの時代に必要なのは、得意分野の異なる者同士が、業種や国を超えて互いに知恵を出し合い、一緒になって仕事をしていくこと。今はまだ漠然と思いを温めている段階ですが、私自身のキャリアの集大成として、そうした新たな協業にも挑戦していく考えです。

利益を出して自社の事業を持続させていくことも大事ですが、それ以上に追い求めたいのは、良い商品をお届けして皆さんに喜んでいただくこと、そして乾物のすばらしさを多くの人に知っていただくことです。商品開発の創意工夫の源もそこにあります。「徳を積む」という言葉は現代ではあまり使われなくなりましたが、時代がどれだけ変わっても価値を失わない大切な精神だと私は思います。日本が誇る乾物という伝統食を次世代へ引き継ぐと同時に、海外の国々にも広げ、より良い未来につなげていく。乾物とともに歩んできた者として、それが私にできる徳の積み方であり、担う役割ではないかと思っています。

クリエイティブコラボは、コラボレーショの力で新しいサービスや価値を創造していきます。
日本文化を次世代に継承するプロジェクトや、メタバース・NFTを活用した地域活性、アートと教育など、さまざまな企画を進行中。
一緒にコラボしたいクリエイター、企業の方、ぜひお気軽にエントリー&お問い合わせください。