INTERVIEW

森山窯 森山 雅夫

1940年、島根県大田市生まれ。島根県立職業補導所陶磁器科を卒業後、すぐに河井寬次郎の内弟子となる。倉敷堤窯の武内晴二朗に師事した後、1971年、島根県の温泉津に森山窯を開き独立。夫妻で工房を切り盛りし、80歳を過ぎた今も作陶に励む。

繰り返しのなかにある新しさ。
いつの時代になっても
生きた手仕事を続けていく

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江戸時代から続く窯業の地、島根県大田市温泉津(ゆのつ)にある森山窯。陶工である森山雅夫氏は河井寬次郎(1890~1966年)最後の内弟子として、10代後半から6年余りを師とともに京都で過ごしました。師から教わった大切なこと、物を見る目や手仕事に込めた想いなど、これまでの人生を振り返りながら語っていただきました。

土の塊から生まれる器に心惹かれて

17歳で河井寬次郎師の内弟子に。人生そのものを教わった

中学校の職場見学で、出雲の萬祥山窯を訪れたときのことです。土の塊から、お皿やお茶わんがつくられるのを見て、「世のなかにはこういう物をつくる人がおられるんだ」と心が惹かれた。それが焼きものの勉強をしたいと思うようになった最初の出来事です。

中学の先生の勧めで入学した島根県立職業補導所陶磁器科では、作陶の基本を1 年間学びました。卒業後は大量生産の窯業に就くか、個人作家の弟子にという選択が多かったなか、ゆくゆくは独立して自分でやりたいと思っていた僕は、作家先生の元で修業をしたいと考えていました。

そうしたとき、出雲にある出西窯の創業者のひとり、多々納弘光先生が補導所に来られ、河井寬次郎先生(以下、河井先生)が若い人を探していらっしゃるとのことで、運よく内弟子に入らせていただくことになりました。当時17歳の僕は、河井先生が同じ島根県出身ということは知っていましたが、どのような方でどんな仕事をなさっているのか、まったく知りませんでした。それが家族同然のように一緒に生活させていただき、たくさんことを教えていただいた。内弟子として過ごした6年半は、僕の人生そのものでした。

師に教わった数々のこと

立派な陶工になる前に、
立派な人間になりなさい

京都の工房に住み込みはじめてしばらくのこと。ある日の夜、河井先生が僕を庭に連れ出し語ってくださったことがあります。「いろいろ悩んだり、どうしたらいいか迷うこともあるだろうけど、そんなときは夜空を見上げて星をみてごらん。星が放つあの光は、何千年、何万年前からやってきているんだ。それに比べたら人間の人生なんてあっという間。だからこそ一生懸命に生きるというのが大事なことなんだよ」と。立派な陶工になる前に、立派な人間になりなさいと言ってくださったことは、いまも鮮明に覚えています。

内弟子の1日は仕事場の掃除からはじまりました。勝手のわからない僕は雑巾とバケツを持ち、机や棚を拭くわけです。その際、道具や作品を持ち上げたり、少し移動したりします。その後、河井先生が来られると、僕が触った物の向きや場所を直されるんです。どうしてかなと思ったら、物には物のいたい場所と向く方向があると。花瓶でも正面と裏では全く形が違い、ときにはこっちの向きがいいということがあります。物と物との距離も、調和しあう距離というのがあります。そういった大切なことを一つひとつ河井先生は教えてくださいました。

忘れられないのは、仕事終わりに粘土が溶けたバケツの水を、ぱぁっと庭にまいてしまったときのこと。葉っぱに泥水がかかって、そのときはなんともないけれども、翌日になると乾いて葉っぱについた土が浮き上がってきます。その葉っぱの汚れを、雑巾でそっと拭かれる先生の姿をみたとき、「えらいことをしてしまったな」と、思いました。物を壊したこともありますが、失敗を怒られるのではなく、後で注意すればいいからと順に教えていただきましたね。

物を見る目の大切さ

自分の仕事場を持ったら、
水引草と芙蓉を植えよう

少し余裕が出きて友達と旅行に行くときには、「目を皿のようにして物を見てきなさい」と声をかけていただきました。物を見てもいいも悪いもわかりません、と正直に答えたら、河井先生は「先生や先輩方がこれは良い物だと言われたものを、わからないなりに一生懸命に見なさい。わからないなら何回も見るということも大事だよ」と言われました。そうしたことを経て自分なりに感じたのは、物には正面だけの輝きではなく、内側から発するような光があるんだな、だから何回みても物は輝いて見えるんだな、ということです。物を見る目は、内弟子時代に学ばせていただいたとても大切なことです。

森山さんが河井寬次郎の内弟子時代につくった作品

雑草と思って庭の草を抜いたときには「それは花をつける水引草だから抜かないでおくれ」と草花の名前とともに教わりました。それから、一日花と言われる芙蓉の花。朝咲いて夕方にはぽとりと落ちるんです。河井先生は「夕方、芙蓉のしぼんだ花を取っておいて」と言われるけれども、どうしてだろうとよく分からない。それがあるとき雨が降ってしぼんだ花を摘み忘れたことがあり、翌朝見たら芙蓉の木の下に花の残骸が落ちている。その光景はみすぼらしく、あまりいい感じがしない。あぁ、河井先生はこのことを言われているんだなと気づきました。それからは、しぼんだ花をすべて摘むようにしました。いつか自分で仕事場を持てるようになったら、水引草と芙蓉を植えようと思ったのはそのときからです。今、ちょうど、工房の裏手に一輪の芙蓉が咲いています。

京都から倉敷、そして温泉津へ

ろくろを回しているときが、
いちばん楽しい

河井先生の内弟子後は、倉敷堤窯の武内晴二朗先生のもとで修業に励みました。武内晴二朗先生のお父上で、大原美術館の初代館長を務めた武内潔真先生にも可愛がっていただき6年を過ごしました。島根県の温泉津(ゆのつ)に移ったのは、河井先生に師事されていた荒尾常蔵先生がご縁になります。荒尾先生は廃れかけた温泉津の窯業復興をめざし、椿窯を開かれました。そこに島根出身であった私に声をかけてくださいました。

森山窯を開いたのは31歳のときです。ここはもともと大きな水がめをつくる仕事場でした。地元では「はんど」と言いますが、プラスチックのバケツが出始めて、水がめが売れなくなり空き家になっていた。それを少しずつ手を入れて修繕し、お母さん(妻の美代恵さん)と二人で使えるようにしていきました。

独立した当初は、どうなるかまったく予想がつきませんでした。売れるかどうかもわからない。それでも倉敷民藝館館長の外村吉之介先生から「初めての窯出しをしたら、うちの売店に持ってきなさい」と言っていただき、中古の車を購入し、それにいっぱい作品を積んで持って行きました。するとほとんどの品が売れて、その後倉敷民藝館で見たとか買ったという方が、温泉津に来てくださった。今は各地からたくさんの注文をいただき、お母さんも一生懸命に手伝ってくれています。いろいろな方に注目していただき助けていただいた、そのおかげがあったからこそだと思います。

仕事をしていていいなと感じるのは、ろくろを回しているときですね。物ができていくその過程がいちばん楽しく生きがいを感じます。また、「温泉津やきものの里」には、石見ものづくり工房という第三セクターがあり、地元の方たちがお世話をしてくださり、登り窯のあるやきものの里を守ってくださっています。窯元だけで管理するのはなかなか厳しいので、とてもありがいたいことです。

一個一個新しいものをつくる

生きたものは止めることができない

以前、札幌の民芸店で作品を購入いたいだ方が、わざわざ温泉津まで足を運んでくださったことがあります。そして、僕を見るなり「思った通りの人だ」と言われたんですね。物がしゃべるというか、この人はこういう人だなと思うくらい、物を見る人は人を見るのだと思います。ものづくりはなんでもそうでしょうけど、特に焼きものは自分の内側が出るのではないでしょうか。

僕自身は、手にしたときに持ちやすい、使いやすいということを大切にしています。珈琲茶わんとか、手付きの具合に気をつけながらね。口にもっていく器は、口当たりの良さも大事です。茶わんから口を離すときに、すっと離れるような口づくりです。

「焼きものというものは千個、万個単位だから10個、20個作ってもなかなかいいものができるわけではない。同じものをつくっていても、一個一個が新しいものだと思ってやってください」というのは、内弟子時代にいただいた助言です。ただ繰り返すだけの寸法さえ合っていればいいというのではなく、常に新しいものとしてやらないと、生きた仕事にはならない。生きたものって、止めることができないでしょう。繰り返しの仕事のなかにある新しさ、そこに気持ちを向けて日々仕事をしています。

人間本来がもつ自然への回帰

一生懸命につくりあげた手仕事は、必ず見てくれる人がいる

人間には自然にかえりたい本能のようなものが必ずある、といったことを河井先生からお聞きしたことがあります。たとえば、便利な生活をしていながらキャンプに行き、自分で木を集め火を焚いて料理をつくったりします。そうしたことをやりたくなるのは、大昔から自然とともに暮らしてきた人間本来がもつ内なる声に動かされているから。物を慈しみ大事に使う、ということも同じです。河井先生は「どんな時代になっても自然に回帰したいと願う人はおられるから心配しなくていい。一生懸命につくりあげた手仕事は、必ず見てくれる人がいるから」と話してくださいました。本当にその通りだなと思いますし、それだけ心を尽くして物をつくるということは大事なことです。

河井先生はその人の運命を引き出してやろうという方で、教えを乞う人には優しく指導される。僕のことも「雅夫」と呼んで孫のように可愛がってくださいました。もうお会いすることは叶いませんが、河井先生と一緒に過ごして教わったことを次の世代の人に少しでもつなげていきたい、そういった気持ちも抱きながら作陶を続けています。

森山窯

島根県大田市温泉津町温泉津イ3-2
0855-65-2420
9:00~17:00
定休日:日曜・年末年始

クリエイティブコラボは、コラボレーショの力で新しいサービスや価値を創造していきます。
日本文化を次世代に継承するプロジェクトや、メタバース・NFTを活用した地域活性、アートと教育など、さまざまな企画を進行中。
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