INTERVIEW

株式会社出西窯 陶工 代表取締役 多々納 真

1959年、出西窯の創業者の一人、多々納弘光の長男として生まれる。大学卒業後、出西窯の陶工として陶器づくりに専念。現、代表取締役。出雲民藝協会会長としても、用の美に根づいた民藝の生活文化の継承に取り組む。

10代の青年たちが立ち上げた
工芸共同体。
その志を継承し
100年デザインをめざす(後編)

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河井寬次郎の魂の言葉、民藝の教えに導かれ、実用一筋の道を歩んできた出西窯(しゅっさいがま)。2022年には創業75年をむかえました。代表の多々納真氏は、陶工として暮らしの器を作り続けながら、職人を育てその生活の土台を築くための取り組みに力を注いでいます。先代から受け継がれてきた大切なこと、そして出西窯の今についてお話を聞きしました。
前編はこちら

大学卒業後、出西窯に

ただひたすらに焼きものに取り組んだ

僕自身は小さな頃から母親に「大きくなったら出西窯の焼きものやさんになるんだよ」と言われて育ち、それが当たり前と思っていました。父であり出西窯の創業メンバーである多々納弘光(1927~2017年)は、部活を一生懸命にやって、とにかく友達をたくさん作れ、という人でした。高校を卒業すると、美術系の大学だけは行くなよとも言っていましたね。なぜかというと、要らぬ技術を覚えて、それを消すのにさらに4年かかかると。当時、民藝のほとんどの先生方は、美術大学出身者は受け入れていなかったと思います。ですから、一生の友となる親友を一人だけでも作りなさい、大学の勉強はそれなんだと口酸っぱく言われました。

焼きもののことは大学卒業後、出西窯に入って初めて教わりました。粘土をこねるのも初めてで、「こんなこと、僕にできるんだろうか」と、自分の下手さに不安が押し寄せた。けれども何とかしなければと、一つひとつ時間を重ねていきました。あるとき、ろくろで粘土がすっと伸ばせるようになったころから、楽しさを感じるようになりましたね。いまだに僕自身は下手だと思いますし、もっと上手い人は山のようにいます。でも、上手い人がたとえば8時間かかるところを、10時間かければ必ずできる、ということは自信を持って言える。ただひたすら続けていった過程では、知らぬ間にさまざまな賞をいただくということもありました。

父はとても優しくて、とにかく褒める人でした。怒られたのは人生で4回くらいでしょうか。引退後は、自転車で工房にやって来ては、ろくろを回している後ろ側から「今日はどうですか。またいいものができましたね」と、それぞれに声をかけてすべて褒める。そしてコーヒーを飲んで、また自転車で帰っていく。僕はそんな父が大好きでした。

用の美を追求した安価な器を追求

若い人材が将来の生活設計ができる土台をつくる

今の日本経済の仕組みは、職人にとって非常にかわいそうな状況です。たとえば器を1日30個より、150個作れる技術があれば工房としてはいいかもしれませんが、その分、単価は下がっていきます。一般の方に広く日常で使っていただきたいと願う出西窯にとっては、それは望んでいる方向でもあります。

父からずっと言われていたのは、「いいか。地元に就職したお嬢さん方が、数年たって同級生が結婚するとなったとき、何かお祝いをしてあげたいと思うだろう。だったら出西窯という地元の焼ものやさんに行こうかと。お祝いだと大体1万円、この金額のなかで何がプレゼントできるかが、大切なところなんだ」ということです。コーヒーカップ1客で1万円もする作家さんのものだと、プレゼントに見合いません。それが出西窯であれば、コーヒーカップ2客に、シュガーポットも入る。そうしたことができる価格設定を保持していくことが、とても重要なことなんです。

そのためには、数を作れる技術をのばしていくと同時に、I・Uターンで出西窯で働く若い人たちがやがて結婚し家を持って定着できるよう、収入が得られるようにしないといけない。東京の百貨店や民藝店に品物を卸しているだけでは到底無理なので、なるべく直売していこうと考えました。そこからイベントを作ってお祭りをしたり、展示販売場を作ったり、何十年もかけて少しずつ人が集まるような場を作ってきました。出西窯を気に入ってくださった作詞家の永六輔さんのお話会も毎年開催していましたね。永さんは、焼きものだけではなく、人が集まるような文化こそが出西窯の魂なんだと、ずいぶん応援してくださいました。

『出西くらしのvillage』

民藝の提唱する生活文化には、食や洋服も含めた暮らし全体がある

『出西くらしのvillage』は、日々のパンを買える場があれば、毎日足を運んでくださるかもしれない、焼きものに興味ない方も来られるのではと考え、2018年にオープンさせました。ベーカリーカフェ「ル コションドール出西」と、神戸生まれのセレクトショップ「Bshop」を併設しています。なぜセレクトショップを作ったかというと、島根の人たちが洋服を買うのは通販が多く、出かけるとしたら広島や神戸あたりです。でもやっぱり実際に見て触れて感じたいじゃないですか。素敵なお店があれば若い人たちにとっても楽しいはず。食もあれば洋服もある。それが民藝の提唱する生活文化運動にもつながるのではと思っています。

実はBshopの当時の社長さんが来店されたのは十数年前なんです。毎年買付に行かれるロンドンで、雑貨として陶器の幅を広げたいと思われ、現地のデザイナーに相談されたそうなんですね。すると、「あなたは日本人でしょう。私はバーナード・リーチが大好きだけど、彼の作品はイギリスにはありません。バーナード・リーチの影響が一番あるのは日本です。日本の出西窯というころに行ってみてください」と言われて、帰国後に出西窯を調べて来店されました。そこからお取引が始まり、出店へとつながっていったんですね。こうした取り組みがあって直売比率が高まり、新たな雇用も生まれ、若い人たちに給与や賞与で還元していくという努力を重ねています。

店内で食事もできる「ル コションドール出西」。
出西窯の器が使われている

時代が変わっても変わらないもの

100年デザインをめざす

出西窯がめざすのは、100年デザインです。それは100年で終わりではなく、200年、300年経っても変わらないということです。ところが、日本のデザイン、特に自動車などは3年、5年経てば大きく変わっていきます。そして捨てていく。

出西窯のほとんどのデザインは、父たちがこういう物を作ってみようとはじめたものが、スタンダードウェアになっています。そこに、僕がゼロから作りあげた新たなデザインが、スタンダードウェアに加わっている。この先は今ある形を踏襲しながら続けていくと思いますが、代々成長するためには、デザインができる技術者を育てていくことも大事だと思っています。

若い研修生たちには、よく言うんです。「焼きものを仕事にしようとするあなたたちは、ニッポニア・ニッポンと言われるトキのような特別な存在なんだ。だから、研修期間の3年で終わるのではなく、そこからがスタート。美しいもの、自分が納得できるものを一生のなかに1個でもいいからつくっていこう。そのために毎日少しずつの努力を積み重ねていく。そうすれば花は突然、咲くから」と。共同体として培ってきた先代たちの思いをどう次の世代の人にバトンタッチできるか、これからも一つひとつ丁寧に時間を重ね歩んでいきたいと思います。

前編はこちら

出西窯

島根県出雲市斐川町出西3368
展示販売場「くらしの陶・無自性館」
9:30~18:00
毎週火曜定休(祝日は除く)

クリエイティブコラボは、コラボレーショの力で新しいサービスや価値を創造していきます。
日本文化を次世代に継承するプロジェクトや、メタバース・NFTを活用した地域活性、アートと教育など、さまざまな企画を進行中。
一緒にコラボしたいクリエイター、企業の方、ぜひお気軽にエントリー&お問い合わせください。